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管理人の自由帳18 「わたしとばけもの 考察」

管理人の自由帳

「コンテンポラリー」×「アイドル」という新境地に挑んだ『わたしとばけもの』のMV。

コンテンポラリー自体が好みが別れるものなので評価は両極端になるが、運営側はそれも折り込み済みで あえて4周年前にこの作品を世に問いかけたように思える。

楽曲は鍵盤のインストルメントから語りかけるような三浦と小野寺のボーカルでスタート。

サビに入ると弦楽器のストリングスが奏でられ、サビ終わりにはまた鍵盤に戻る。2番からはドラムが入り、終盤に向けて複層的に音が重ねられ疾走感を増す。その様はまるで人生の激流に身を委ねるかのようにドラマチック。

終盤のサビでは これまでのソロ歌唱から打って変わってユニゾンが展開され、歌詞の「ひとりじゃない」というフレーズをより際だたせる音作り。古屋葵氏の才能にただただ脱帽するばかりだ。

そんな本曲のテーマであるばけものは目に見えない恐怖、焦り、怒りの象徴。対峙すべき存在であり 忌み嫌うものの筈が、本作のばけものは ただ”微笑む”のだ。

メンバーと寄り添って世界を紡いできたmimimy氏しか生み出せない歌詞が心に刺さる。

MV冒頭部は散らかった部屋の中で赤服の女が座って もがく姿が映される到底アイドルMVとは思えない衝撃的もの。天に手を伸ばす女の手を 三浦菜々子が抱きしめ「一歩を踏み出す」という歌詞に合わせて女が動き出す構成には唸らされる。

”ばけもの”のメタファーとして登場する赤服の女。この赤色は人の血液であり、怒りの炎であり、恐怖の心であるかのよう。

そんな存在を倒すのではなく受け入れる。すると赤色はうって変わって情熱の形であり、希望への道標に転換を遂げる。

赤服の女が狂ったように踊る前半と対比されたメンバーの楽しそうなシーンの中盤。心の中には”ばけもの”を飼いながらもアイドルという”偶像”を演じる。

その姿は表面しか見ない者たちへの強烈なアイロニーのように感じられたのは私だけだろうか。

曲、詩、映像と複雑に折り重ねられた この「わたしとばけもの」という作品の世界。0か100かの極めて取り扱いの難しい作品を成立させたのは 確かな成長を遂げたメンバーの歌唱力と表現力あってのものであるといえよう。

人間の深く仄暗い苦悩を余すことなく歌で伝えることが出来るのは白キャンの歌姫 三浦菜々子しかいない。

そして絶望の中に光をもたらかのような 小野寺梓の人柄そのものと言える慈愛に溢れた微笑みと 祈りのような歌声がカタルシスをもたらす。

メインボーカルの小野寺と三浦とは異なるアプローチで 橋本美桜はその変幻自在の表現力で曲の物語をさらに色濃く彩る。

儚く美しく空気感をもたらす鈴木えまと麦田ひかるの繊細な歌声は白キャンの唯一無二の世界観をそっと静かに優しく展開する。

「あの子は嘆いて身を投げたし」というアイドル楽曲にあるまじき衝撃的なフレーズさえも どこか美しく感じられるのは鈴木えまの声だからこそ。

MVでは明らかになっていないが、ライブでは麦田ひかる張り詰めた空気の中で歌うことなく、ダンスだけで冒頭の約40秒間センターに立って空間を成り立たせてるという驚異の存在感を示す。

そして本作においてキーパソンとなったのは西野千明と浜辺ゆりな。白キャン史上最高難度とも言える本曲が傑作になり得たのは、歌に苦手意識を持っていたこの2名の歌唱力の向上あってのものと言えよう。

浜辺ゆりな「あの子は病に伏せた」
西野千明「目に見えない感染症」

この非常にセンシティブであり難しいフレーズ。見えない恐怖へのリアリティと それでも立ち向かう前向きさを感じさせる2人の表現力には 贔屓一切抜きに感嘆の声が漏れた。

メンバーの個性が遺憾なく発揮され、製作陣のこだわりが込められた本作はまさに傑作といえる仕上がり。そして、アイドルとしては先鋭的すぎる この作品を生み出した青木プロデューサーの手腕とセンスは”ばけもの”と言うほかない。

王道アイドルでありながらも先鋭的で ある種アイドルのアンチテーゼとも言える白キャンらしい本作
難解で様々な解釈があるため、万人受けはしないのかもしれない。

この作品の評価がどう転ぶか、私は時代の審判の行方を見守りたいと思う。

追伸となるのだが、本MVで登場する部屋には過去の白キャンゆかりの品が置かれているのも遊び心があって面白い。そしてシビアなスケジュールの中でもメンバーが最高のパフォーマンスが出来るように支えたスタッフの方々の献身も傑作を作り上げたことを最後に記しておきたい。

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